※アダルトサイトから転送URLとして当サイトへリンクされているようですが、
占い専科☆宿曜占星術」はアダルトサイトとは一切関係ありません。


軫宿の歴史上の人物-宿曜占星術

足利義稙(あしかがよしたね)文正元年〜大永3年(1466〜1523)
・室町幕府10代将軍

飛鳥井雅庸(あすかいまさつね)永禄12年〜元和元年(1569〜1616)
・戦国時代から江戸時代前期にかけての公家・歌人
古今伝授・入木道(じゅぼくどう=書道)伝授を受け、後水尾上皇・徳川
秀忠・細川忠興・島津家久に蹴鞠を指導するなど諸芸に秀でていた。
日記に「雅継卿記」、歌集に「入道大納言雅庸卿百首」などがある。

尼子経久(あまごつねひさ)長禄2年〜天文10年(1458〜1541)
・出雲国の戦国大名
北条早雲と並ぶ下剋上の典型とされ、毛利元就と並ぶ謀略の天才とも云われる。

片桐貞隆(かたぎりさだたか)永禄3年〜寛永4年(1560〜1627)
・戦国から江戸時代前期にかけての武将
・大和国小泉藩の初代藩主。片桐且元の弟。
兄と共に豊臣秀吉に仕え、秀吉没後は兄と共に豊臣秀頼に仕えた。
方広寺鐘銘問題を契機に徳川家康との内通を疑われるようになり、兄と共に
豊臣のもとから去って、家康に仕えるようになった。
兄より遥かに激しい気性の持ち主であったと言われている。

後光明天皇(ごこうみょうてんのう)寛永10年〜承応3年(1633〜1654)
・第110代天皇

伊達秀宗(だてひでむね)天正19年〜明暦4年(1591〜1658)
・江戸時代初期の大名。伊予国宇和島藩初代藩主
・伊達政宗の長男

覚恕(かくじょ)大永元年〜天正2年(1521〜1574)
・戦国時代の天台宗の僧。第166世天台座主

徳川家継(とくがわいえつぐ)宝永6年〜正徳6年(1709〜1716)
・江戸幕府第7代将軍
・第6代将軍家宣の4男

徳川宗春(とくがわむねはる)元禄9年〜明和元年(1696〜1764)
・尾張藩7代藩主
8代将軍吉宗の享保の改革に反対し、『行き過ぎた倹約はかえって庶民を
苦しめる結果になる』『規制を増やしても違反者を増やすのみ』などの主張
を掲げ、名古屋城下に芝居小屋や遊郭を誘致するなど開放政策を採った。

鳥羽天皇(とばてんのう)康和5年〜保元元年(1103〜1156)
・第74代天皇

広橋兼勝(ひろはしかねかつ)永禄2年〜元和8年(1559〜1622)
・戦国から江戸時代初期の公家
徳川家康に征夷大将軍の内示を与え、大坂冬の陣では家康と豊臣秀頼の和睦
に尽力するなど、武家伝奏として任務を務めた。

本願寺証如(ほんがんじしょうにょ)永正13年〜天文23年(1516〜1554)
・本願寺第10代門主
1531年には本願寺で内部対立が起こるが、これを抑えて門主の指導力強化に努めた。

前田利好(まえだとしよし)永禄8年〜慶長15年(1565〜1610)
・戦国から安土桃山時代の武将
・前田利家の兄・安勝の子

松平忠利(まつだいらただとし)天正10年〜寛永9年(1582〜1632)
・安土桃山から江戸時代前期にかけての武将
・深溝松平氏第5代当主


軫宿

占い専科☆宿曜占星術



翼宿の歴史上の人物-宿曜占星術

朝倉孝景(宗淳)(あさくらたかかげ)明応2年〜天文17年(1493〜1548)
・戦国時代の武将。越前国の戦国大名。
・朝倉氏10代目当主

朝倉義景(あさくら よしかげ)天文2年〜天正元年(1533〜1573)
・越前国の戦国大名

足利義輝(あしかがよしてる)天文5年〜永禄8年(1536〜1565)
・室町幕府第13代将軍
塚原卜伝から指導を受け、歴代征夷大将軍の中でも最も武術の優れた人物。

阿茶局(あちゃのつぼね)天文23年〜(1554〜)・徳川家康の側室
大阪冬の陣で和議の使者を務めるなど、外交面でも活躍した。

大石内蔵助(おおいしくらのすけ)万治2年〜元禄16年(1659〜1703)
・播磨国赤穂藩家老
内蔵助(くらのすけ)は通称で、名は良雄(よしお/よしたか)

角倉素庵(すみのくらそあん)元亀2年〜(1571〜)
・安土桃山〜江戸前期の学者・書家・貿易商
・戦国期の京都の豪商・角倉了以(すみのくらりょうい)の長男
藤原惺窩の門人で本阿弥光悦に書を学び、角倉流を創始。

後桃園天皇(ごももぞのてんのう)宝暦8年〜安永8年(1758〜1779)
・第118代天皇

徳川忠長(とくがわただなが)慶長11年〜寛永10年(1606〜1634)
・江戸時代初期の駿府城主
・江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の三男

中御門天皇(なかみかどてんのう) 元禄14年〜元文2年(1702〜1737)
・第114代天皇

三好長慶(みよしながよし/ちょうけい)大永2年〜永禄7年(1522〜1564)
・戦国大名

明正天皇(めいしょうてんのう)元和9年〜元禄9年(1624〜1696)
・第109代天皇。女帝

山科言経(やましなときつね)天文12年〜慶長16年(1543〜1611)
・戦国から江戸時代初期の公卿
・父は山科言継
『言経卿記』の著者。


翼宿

占い専科☆宿曜占星術

張宿の歴史上の人物-宿曜占星術

張宿

尼子晴久(あまごはるひさ)永正11年〜永禄3年(1514〜1561)
・出雲の戦国大名

狩野探幽(かのうたんゆう) 慶長7年〜延宝2年(1602〜1674)
・狩野永徳の孫
・江戸時代の狩野派を代表する絵師。
11歳のとき、駿府で徳川家康に謁見。15歳で将軍の御用絵師となる。
江戸城、二条城、名古屋城などの絵画制作に携わり、大徳寺、妙心寺などの有力
寺院の障壁画も制作している。
自らが目にした古今の名画を縮図として模写しており、それらは「探幽縮図」と
呼ばれて、現在まで膨大な量が残っている。
「探幽縮図」は、歴史資料、絵画資料としても貴重なものとなっている。

後水尾天皇(ごみずのおてんのう)慶長元年〜延宝8年(1596〜1680)
・第108代天皇

四条天皇(しじょうてんのう)寛喜3年〜仁治3年(1231〜1242)
・第87代天皇
2歳で即位。 12歳で事故のため、崩御。

島津忠義(しまづただよし)天保11年〜明治30年(1840〜1897)
・薩摩藩の第12代(最後)藩主。島津氏第29代当主。

谷干城(たにたてき)天保8年〜明治44年
・土佐藩氏
・政治家

中院通勝(なかのいんみちかつ)弘治2年〜慶長15年(1556〜1610)
・公家・歌人・和学者
細川幽斎に学んで和歌・和学を極めた。

源頼朝(みなもとのよりとも)久安3年〜正治元年(1147〜1199)
・鎌倉幕府初代将軍

陽成天皇(ようぜいてんのう)貞観10年〜天暦3年(868〜949)
・第57代天皇


張宿

占い専科☆宿曜占星術

星宿の歴史上の人物-宿曜占星術

足利義澄(あしかがよしずみ)文明12年〜永正8年(1481〜1511)
・室町幕府第11代将軍

宇多天皇(うだてんのう)貞観9年〜承平元年(867〜931)
・第59代天皇

上井覚兼(うわい かくけん)天文14年〜天正17年(1545〜1589)
・戦国・安土桃山時代の武将。島津氏の家臣。
島津義久の側近として仕え、家老として島津氏の政治を取り仕切った。
日向国の宮崎城守備を命じられ、行政面で活躍している。
優れた教養人でもあり、彼が記した『上井覚兼日記』や『伊勢守心得書』
などは島津氏の首脳陣の政策決定などの内情を知る上で、大変貴重な史料。

狩野永徳(かのう えいとく)天文12年〜天正18年(1543〜1590)
・安土桃山時代の絵師
狩野派の棟梁として、織田信長、豊臣秀吉に仕え、安土城や大坂城などの
障壁画に筆を揮った。

後柏原天皇(ごかしわばらてんのう)寛正5年〜大永6年(1464〜1526)
・第104代天皇
仏教に帰依し、書道に長けていたといわれている。

島津貴久(しまづ たかひさ)永正11年〜元亀2年(1514〜1571)
・薩摩・大隅の戦国大名
・島津氏15代当主
琉球王と修好を結んだりするなど外交政策にも積極的に取り組んだ。
鉄炮が種子島氏より献上されると数年後には実戦で利用している。

田沼意次(たぬま おきつぐ)享保4年〜天明8年(1719〜1788)
・江戸時代の政治家
幕府の財政赤字を食い止めるため重商主義政策を取り、その結果、幕府の
財政は改善し、景気もよくなった。
しかし、そのために生活が金銭中心のものとなり、贈収賄が横行した。
江戸商人への権益を図りすぎたため、贈収賄疑惑を流されるなど、政治への
批判があつまった。

徳川秀忠(とくがわ ひでただ)天正7年〜寛永9年(1579〜1632)
・江戸幕府第2代将軍
・徳川家康の三男

徳川吉宗(とくがわ よしむね)貞享元年〜寛延4年(1684〜1751)
・江戸幕府第8代将軍
紀州藩2代藩主徳川光貞の四男として生まれ、二人の兄の死後、紀州藩主を
継ぎ藩財政の再建に努め、七代将軍家継の死により徳川将軍家の血筋が途絶
えると、江戸幕府8代将軍へと就任する。
自ら質素倹約、新田の開発、目安箱の設置などの享保の改革を行う。
破綻しかけていた幕府財政を再建し、江戸幕府中興の祖と呼ばれる。

内藤信成(ないとうのぶなり)天文14年〜慶長17年(1545〜1612)
・戦国時代の武将・大名
・父は松平広忠。徳川家康の異母弟
異母兄・徳川家康に仕え、三方ヶ原の戦いでは殿軍(しんがり)を務めた。
長篠の戦いでは先陣として活躍、その後も多くの戦いに参陣して功績を挙げ
駿府城主に任命された。
その後、家康が大御所となって駿府城を居城としたため、近江国長浜城
4万石に移封された。

土方歳三(ひじかたとしぞう)天保6年〜明治2年(1835〜1869)
・新選組副長

南部重直(なんぶしげなお)慶長11年〜寛文4年(1606〜1664)
・盛岡藩第2代藩主
盛岡城の築城工事を完成させるなど、盛岡藩の基盤固めに専念した。

細川忠興(ほそかわただおき)永禄6年〜正保2年(1563〜1646)
・戦国・安土桃山時代の武将
・細川幽斎(細川藤孝)の嫡男

明治天皇(めいじてんのう)嘉永5年〜明治45年(1852〜1912)
・第122代天皇


星宿

占い専科☆宿曜占星術

柳宿の歴史上の人物-宿曜占星術

青山忠俊(あおやまただとし)天正6年〜寛永20年(1578〜1643)
・江戸時代初期の譜代大名。武蔵国岩槻藩藩主、上総国大多喜藩主
・父は青山忠成。徳川家光の傅役。
徳川秀忠に仕え、土井利勝、酒井忠世とともに徳川家光の傅役をつとめた。
五万五千石をもって岩槻城主となるが、しばしば家光に諫言を繰り返した
ため、上総国大多喜藩(二万石)に減転封され、その後除封。
秀忠の死後に再出仕の要請があったが断った。

新井白石(あらいはくせき)明暦3年〜享保10年(1657〜1725)
・江戸時代の政治家、学者、詩人
わずか3歳で父の読む儒学の書物をそっくり書き写していたという伝説を
持つ。 気性が激しく、後年、幕府の反対派からは「鬼」と呼ばれ恐れられた。

応神天皇(おうじんてんのう)仲哀天皇9年〜応神天皇41年(201〜310)
・第15代天皇

後西天皇(ごさいてんのう)寛永14年〜貞享2年(1638〜1685)
・第111代天皇

後陽成天皇(ごようぜいてんのう)元亀2年〜元和3年(1571〜1617)
・第107代天皇

相良頼房(さがらよりふさ)天正2年〜寛永13年(1574〜1636)
・初代人吉藩主

遠山景元(とおやまかげもと)寛政5年〜安政2年(1793〜1855)
・江戸時代の旗本。江戸北町奉行、南町奉行を勤めた。
・時代劇「遠山の金さん」のモデル。

前田利長(まえだ としなが)永禄5年〜慶長19年(1562〜1614)
・安土桃山時代の武将、加賀藩初代藩主
・前田利家の嫡男

村上天皇(むらかみてんのう)延長4年〜康保4年(926〜967)
・第62代天皇
朝廷の財政が逼迫していたが、倹約に努め物価を安定させる。
琴・琵琶などの楽器にも精通し、平安文化を開花させた。


柳宿

占い専科☆宿曜占星術

鬼宿の歴史上の人物-宿曜占星術

朝倉氏景(あさくらうじかげ)宝徳元年〜文明18年(1449〜1486)
・越前国の戦国大名。朝倉氏の第8代当主。

足利義勝(あしかがよしかつ)永享6年〜嘉吉3年(1434〜1443)
・室町幕府7代将軍
父の義教が暗殺されたため、僅か9歳で将軍職を継いだが、わずか8ヶ月で死去。

足利義満(あしかがよしみつ)正平13年/延文3年〜応永15年(1358〜1408)
・室町幕府第3代将軍
朝廷と幕府に二分化されていた京都の行政権や課税権なども幕府に一元化し、
幕府権力を固める。

井伊直孝(いいなおたか)天正18年〜万治元年(1590〜1659)
・江戸時代前期の譜代大名。近江彦根藩主。
・井伊直政の次男
家康、秀忠、家光の3代に渡って徳川家に仕えた。

一条天皇(いちじょうてんのう)天元3年〜寛弘8年(980〜1011)
・第66代天皇

大内義隆(おおうちよしたか)永正4年〜天文20年(1507〜1551)
・周防山口の戦国大名
文化的関心が強く、文治主義的な戦国大名として知られる。
寺社への寄進や復興など、王朝時代を意識したと思われる復古的行動が見られる。

大村益次郎(おおむらますじろう)文政7年〜明治2年(1824〜1869)
・幕末から明治初頭の兵学者・医師
西洋兵学・蘭学の講義と翻訳を手がけ、軍艦製造の研究を行い、洋式軍艦の
雛形を安政3年、江戸に出て「鳩居堂」を開塾。蘭学・兵学・医学を教える。

沖田総司(おきたそうじ)天保13年〜慶応4年(1842〜1868)
・幕末の新選組の隊士。局長助勤、一番隊組長、撃剣師範。

坂本竜馬(さかもとりょうま)天保6年〜慶応3年(1836〜1867)
・江戸時代末期の土佐藩士
貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中・海援隊を結成。
薩長連合の斡旋や大政奉還の成立に尽力。

島津義久(しまづよしひさ)天文2年〜慶長16年(1533〜1611)
・薩摩国の戦国大名。島津家第16代当主
智勇に優れていただけではなく、細川幽斎から古今伝授を受けるなど、
教養人でもあったと言われている。

藤堂高吉(とうどうたかよし)天正7年〜寛文10年(1579年〜1670)
・江戸時代前期の武将
・丹羽長秀の三男で、藤堂高虎の養子
文禄の役において武功をあげる。
関ヶ原の戦いでも東軍に与して活躍。
江戸城普請を務めた功績により、伊予国今治城主に任じられ1万石を加増。
後、伊賀国名張に移封され、名張藤堂氏の祖となる。

徳川頼宣(とくがわよりのぶ)慶長7年〜寛文11年(1602〜1671)
・徳川家康の10男。紀州徳川家の祖
8代将軍吉宗の祖父にあたる。

花園天皇(はなぞのてんのう)永仁5年〜貞和4年/正平3年(1297〜1348)
・第95代天皇

水野勝俊(みずのかつとし)慶長3年〜承応4年(1598〜1655)
・備後福山藩2代藩主
・水野勝成の長男

毛利秀就(もうりひでなり)文禄4年〜慶安4年(1595〜1651)
・江戸時代の大名。長州藩第2代藩主
・父は毛利輝元


鬼宿

占い専科☆宿曜占星術

井宿の歴史上の人物-宿曜占星術

足利義量(あしかがよしかず)応永14年〜応永32年(1407〜1425)
・室町幕府第5代将軍
・第4代将軍足利義持の子
16歳で将軍職を譲られるも病弱で、2年後に死去
翌年には父の義持も後継を定めないまま死去し、第6代将軍は籤引きで
選ばれた。父の義持に大酒を戒められ、近臣は義量に酒を勧めないよう
起請文をとられたという話なども伝えられている。

足利義栄(あしかがよしひで)天文7年〜永禄11年(1538〜1568)
・室町幕府第14代将軍
松永久秀・三好義継に擁立され第14代将軍に就任したが、織田信長が足利
義昭を擁して入京した為阿波国に逃れた。

池田光政(いけだみつまさ)慶長14年〜天和2年(1609〜1682)
・初代岡山藩主
全国初の藩校「花畠教場」を開校し、また日本最古の庶民の学校として
「閑谷学校」も開くなど、教育の充実に熱心だった。
干拓などの新田開発・百間川(旭川放水路)の開鑿などの治水を行い、ま
た業の振興も奨励した。
徳川光圀・保科正之と並び江戸時代初期の三名君として称されている。

正親町天皇(おおぎまちてんのう)永正14年〜文禄2年(1517〜1593)
・第106代天皇
天皇家の財政は逼迫し即位の礼を挙げられず、毛利元就などの献金を受けて
ようやく即位の礼を挙げることができた。
織田信長が、その敵対勢力に対してたびたび講和の勅命を出させるなど天皇
の権威を利用した。朝倉義景・浅井長政との戦い、足利義昭の戦い、石山本
願寺との講和はいずれも正親町天皇の勅命による。
信長にその存在を疎まれるようになり、たびたび譲位を要求されるようにな
るが、天皇はそれを最後まで拒んだ。
豊臣秀吉に政権が移った後も、秀吉が権威の後ろ楯として天皇を利用したた
め、天皇家の権威は高まった。
正親町天皇の治世は織田信長と豊臣秀吉の全盛期にあたり、その援助のもと
応仁の乱以来衰退しきった朝廷を立て直した時期だった。

後圓融天皇(ごえんゆうてんのう)延文3年/正平13年〜明徳4年(1359〜1393)
・南北朝時代の北朝第5代天皇

後小松天皇(ごこまつてんのう)天授3年〜永享5年(1377〜1433)
・北朝最後の第6代、歴代第100代の天皇

近衛信尋(このえのぶひろ)慶長4年〜慶安2年(1599〜1649)
・江戸時代前期の公家。後陽成天皇の第4皇子。
近衛前久、信尹の文化人の資質を受け継ぎ、諸芸道に精通した文化人だった。
書道は、養父信尹の三藐院流を継承し、卓越した能書家、茶道は古田織部に
学び、連歌も巧みだった。
実兄の後水尾天皇を中心とする宮廷文化・文芸活動を中心人物として担った。

朱雀天皇(すざくてんのう)延長元年〜天暦6年(923〜952)
・第61代天皇

豊臣鶴松(とよとみつるまつ)天正17年〜天正19年(1589〜1591)
・豊臣秀吉の長男
秀吉の初めての子であった為、後継者として期待されるが3歳で病没。

松平信康(まつだいらのぶやす)永禄2年〜天正7年(1559〜1579)
・徳川家康の嫡男

六条天皇(ろくじょうてんのう)長寛2年〜安元2年(1164〜1176)
・第79代天皇
生後9ヶ月(数え年2歳)で即位。
在位3年足らずで平家の推す叔父の高倉天皇に譲位する(歴代最年少上皇)。
その後は寂しい生涯を送り、元服を行う事も無く13歳で病死

山名宗全(やまなそうぜん)応永11年〜文明5年(1404〜1473)
・室町時代の守護大名
応仁の乱では西軍を率いて挙兵

結城秀康(ゆうきひでやす)天正2年〜慶長12年(1574〜1607)
・戦国時代、安土桃山時代の武将。越前国福井藩初代藩主
・徳川家康の次男

酒井忠勝文禄3年〜正保4年(1594〜1647)
・江戸時代初期の大名
・高田藩主、松代藩主、庄内藩主
祖父は徳川四天王のひとり酒井忠次。
同時代、若狭国小浜藩主であった酒井忠勝(讃岐守)は同姓同名の別人。


井宿

占い専科☆宿曜占星術

参宿の歴史上の人物-宿曜占星術

秋月種長(あきづきたねなが)永禄10年〜慶長19年(1567〜1614)
・日向国高鍋藩初代藩主
文禄の役、慶長の役に出陣して蔚山城の戦いで功績を挙げた。
関ヶ原の戦いでは西軍に属していたが、東軍に降伏し、所領を安堵され
秋月氏の高鍋初代藩主となった。

足利義晴(あしかがよしはる)永正8年〜天文19年(1511〜1550)
・室町幕府第12代将軍
・足利義輝、足利義昭の父
管領・細川高国に擁立されて第12代将軍に就任する。

岩崎弥太郎(いわさきやたろう)天保5年〜明治18年
・実業家・三菱財閥の創業者

木戸孝允(きどたかみつ)天保4年〜明治10年(1833〜1877)
・維新の元勲政治家。
幕末には、桂小五郎として知られていた尊皇攘夷派の中心人物。
薩摩の西郷隆盛、大久保利通とともに、維新の三傑として並び称せられる。
江戸練兵館塾頭の剣豪、勤皇志士、長州藩庁政務座の最高責任者として
活躍するが、志士時代は徹底的に闘争を避け「逃げの小五郎」と呼ばれた。

島津義弘(しまづよしひろ)、天文4年〜元和5年(1535〜1619)
・島津氏17代当主

崇徳天皇(すとくてんのう)、元永2年〜長寛2年(1119〜1164)
・第75代天皇

高杉晋作(たかすぎしんさく)天保10年〜慶応3年(1839〜1867)
・幕末の長州藩藩士

曲直瀬道三(まなせどうさん)永正4年〜文禄3年(1507〜1594)
・戦国時代の医師
日本医学中興の祖として田代三喜・永田徳本などと並んで「医聖」と称さ
れる。
名医として知られた田代三喜斎に入門して最新の漢方医学を修めた。
将軍足利義輝、細川晴元、三好長慶、松永久秀、毛利元就、織田信長、
正親町天皇などを診療。
『啓迪集』『薬性能毒』『百腹図説』『弁証配剤医灯』など数多くの著書
を記し、数百人の門人に医術を教え、名医として諸国にその名を知られた。
死後、正二位法印を追贈された。
子の玄朔が後を継ぎ、代々官医として続いた。


参宿

占い専科☆宿曜占星術

觜宿の歴史上の人物-宿曜占星術

安徳天皇(あんとくてんのう)、治承2年〜元暦2年(1178〜1185)
・第81代天皇
2歳で即位し、政治の実権は平清盛がにぎる。
壇ノ浦の戦いで平家が源氏に敗れると、祖母に抱かれて入水し、8歳で崩御した。

亀山天皇(かめやまてんのう)、建長元年〜嘉元3年(1249〜1305)
・第90代天皇

菅原道真(すがわらのみちざね)承和12年〜延喜3年(845〜903)
・平安時代の学者、詩人、政治家
特に漢詩に優れ、現在は学問の神として親しまれる。

土御門泰重(つちみかどやすしげ)天正14年〜寛文元年(1586〜1661)
・陰陽師
安倍氏以来、代々陰陽頭を務める土御門家当主

智仁親王(としひとしんのう)天正7年〜寛永6年(1579〜1629)
・皇族。八条宮家の初代。
1586年に豊臣秀吉の猶子となるが、秀吉に実子が生れたことにより八条宮を創設。
細川幽斎から古今伝授を受けた。

徳川綱吉(とくがわつなよし)、正保3年〜宝永6年(1646〜1709)
・江戸幕府第5代将軍
・3代将軍家光の4男
綱紀粛正のため、多くの大名や旗本の改易をおこなった。
生類憐れみの令を定めた。

豊臣秀吉(とよとみひでよし)天文6年〜慶長3年
・戦国時代の武将。、関白、太政大臣

二宮金次郎(にのみやきんじろう)、天明7年〜安政3年(1787〜1856)
・江戸時代後期の思想家
「報徳思想」を唱えて農村復興運動を指導した。

松平広忠(まつだいらひろただ)、大永6年〜天文18年(1526〜1549)
・戦国時代の武将。三河国額田郡岡崎城主。松平宗家8代当主。
・松平清康の子。徳川家康の父。
父の不慮の死後、家臣団や一族をまとめることには、辛うじて成功した
ものの、三河の諸豪族まではまとめることができず、衰亡の危機を迎える。

脇坂安元(わきざかやすもと)天正12年〜承応2年(1584〜1654)
・江戸時代初期の大名
徳川秀忠の談伴衆でもあった教養人で、「下館日記」「在昔抄」など著作も多い。
飯田の城下町を整備し、文化産業振興にも力を注ぐなど、飯田の発展に尽くした。
安元には実子がいたにもかかわらず、当時将軍家光の信任が厚い堀田正盛の
次男でを養子とすることを願い出て許されている。
そのため、外様の小藩であった脇坂家は譜代大名となることができた。


觜宿

占い専科☆宿曜占星術

畢宿の歴史上の人物-宿曜占星術

朝倉貞景(あさくらさだかげ)文明5年〜永正9年
・越前の戦国大名。朝倉氏第9代当主
一向一揆衆を駆逐するなどして、内政・軍事においての朝倉氏の戦国大名
化、越前領国化を成し遂げた。

加藤清正(かとうきよまさ)永禄5年〜慶長16年
・戦国・安土桃山時代の武将、大名。初代熊本藩主。
賤ヶ岳の合戦で七本槍の一人に数えられ、その後も数々の戦いで功をあげる。
築城の名手として知られ、熊本城、江戸城、名古屋城などの築城に携わった。
法律面でも、アメリカより先んじて三振法を取り入れている。軽微な罪や
式典で粗相を3回起こすと切腹を申し付けられるものであり、そのため加
藤家の家臣は行儀の良いことで有名だった。

後光嚴天皇(ごこうごんてんのう)延元3年/建武3年〜文中3年/応安7年3月3日
・北朝第4代天皇

後伏見天皇(ごふしみてんのう)弘安11年〜延元元年/建武3年
・第93代天皇

最澄(さいちょう)神護景雲元年〜弘仁13年
・平安時代の僧
日本の天台宗を開いた

島津勝久(しまづかつひさ)文亀3年〜天正元年
・島津氏14代目当主

住友政友(すみともまさとも)天正13年〜承応元年
・住友財閥創始者
出家して修行に励んでいたが、幕府の宗教政策に反発。
僧籍を離れ、京都で書物と薬の店を始めた。

藤堂高次(とうどうたかつぐ)慶長6年〜延宝4年
・江戸時代前期の外様大名。伊勢国津藩第2代藩主。
・藤堂高虎の嫡男
財政が悪化していた津藩を立て直すため、新田開発を奨励するなどの改革に努めた。

細川忠利(ほそかわただとし)生没年:天正14年〜寛永18年
・豊前小倉藩主。肥後熊本藩初代藩主
・父は細川忠興、母は細川ガラシャ

本願寺教如(ほんがんじきょうにょ)、永禄元年〜慶長19年
・石山本願寺第12代門主。真宗大谷派の祖
・第11代門主・顕如の長男
織田信長との石山戦争では、父を助けて信長と戦った。
その後勅命講和を無視して徹底抗戦を主張し、本願寺に立て籠もって信長
に抗戦。そのため父親から義絶され、信長の死後に父と和解する。
父・顕如の死後、本願寺住職の座を継ごうとしたが豊臣秀吉が反対。
弟の准如が後を継いだ。
秀吉の死後、徳川家康が教如に肩入れし、後陽成天皇の勅許を背景に東本願
寺を建立。これに対して准如も西本願寺を創設し、本願寺は分裂した。


畢宿

占い専科☆宿曜占星術

昴宿の歴史上の人物-宿曜占星術

上杉鷹山(うえすぎようざん)宝暦元年〜文政5年(1751〜1822)
・江戸時代中期の大名。出羽国米沢藩第9代藩主。
米沢藩再生のきっかけを作り、江戸時代屈指の名君として知られている。

円融天皇(えんゆうてんのう)天徳3年〜正暦2年(959年〜991年)
・第64代天皇

光仁天皇(こうにんてんのう)和銅2年〜天応元年(709〜782)
・第49代天皇

後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)嘉吉2年〜明応9年(1442〜1500)
・第103代天皇
即位後ほどなく応仁の乱がおき、朝廷の財源は枯渇し朝廷は衰微した。
乱をさける為、足利義政の室町第に10年の間避難生活を強いられた。

称光天皇(しょうこうてんのう)応永8年〜正長元年(1401〜1428)
・第101代天皇

武田信虎(たけだのぶとら)明応3年〜天正2年(1494〜1574)
・甲斐国の守護大名。甲斐武田氏第18代当主。
・武田晴信(信玄)の父

藤堂高虎(とうどうたかとら)弘治2年〜寛永7年(1556〜1630)
・戦国・安土桃山時代の武将。伊勢国津藩初代藩主
築城技術に長け、宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城などを築城。
外様大名でありながら家康の信頼厚く、側近の扱いを受けた。

本願寺顕如(ほんがんじけんにょ)天文12年〜文禄元年(1543〜1592)
・本願寺第11世門主

霊元天皇(れいげんてんのう)、承応3年〜享保17年(1654〜1732)
・第112代天皇


昴宿

占い専科☆宿曜占星術

胃宿の歴史上の人物-宿曜占星術

一条昭良(いちじょうあきよし)慶長10年〜寛文12年(1605〜1672)
・江戸時代前期の公卿。後陽成天皇の子

お梶の方(おかじのかた)天正5年〜寛永19年(1578〜1642)
・徳川家康の側室
家康が49歳のとき、13歳で側室になる。
非常に聡明だったことから寵愛を受け、江戸城内でも重きをなした。

勧修寺光豊(かじゅうじみつとよ)天正3年〜慶長17年(1575〜1612)
・公卿
関ヶ原の戦いの際には大坂城に遣わされ、豊臣秀頼に徳川家康との講和を要請する。

西郷隆盛(さいごうたかもり)文政10年〜明治10年(1828〜1877)
・幕末、明治の政治家。薩摩国
長州藩の木戸孝允(桂小五郎)、薩摩藩の大久保利通と並び「維新の三傑」と称される。
徳川家茂(とくがわいえもち)弘化3年〜慶応2年(1846〜1866)
・江戸幕府第14代将軍

南部信直(なんぶのぶなお)天文15年〜慶長4年(1546〜1599)
・戦国大名。南部氏26代当主
政治力は優れており、早くから豊臣家や徳川家との友好関係を結んでいる。

本願寺准如(ほんがんじじゅんにょ)天正5年〜寛永8年(1577〜1631)
・本願寺第12世門主。顕如の三男
兄・教如が父と対立したため、兄に代わって門主を継いだ。

山科言継(やましなときつぐ)永正4年〜天正7年(1507〜1579)
・戦国時代の公家
和歌、蹴鞠、漢方医学や酒宴などの多彩な才能の持ち主だった。
多くの戦国大名との交友でも知られている。
気さくな人柄で、優れた医療知識をもって天皇や公家達だけでなく、庶民に
対しても治療を行ったため、庶民からも人気がある公家となった。
日記『言継卿記』は当時の世相を知る貴重な史料となっている。

冷泉天皇(れいぜいてんのう)天暦4年〜寛弘8年(950〜1011)
。第63代天皇


胃宿

占い専科☆宿曜占星術

婁宿の歴史上の人物-宿曜占星術

光格天皇(こうかくてんのう)明和8年〜天保11年(1771〜1840年)
・第119代天皇
中世以来絶えていた朝廷の儀式の復興に熱心で、朝廷の権威の復権に努めた。
朝廷が近代天皇制へ移行する下地をつくったと評価されている。

後三条天皇(ごさんじょうてんのう)長元7年〜延久5年(1034〜1073)
・第71代天皇

後二条天皇(ごにじょうてんのう)弘安8年〜徳治3年(1285〜1308)
・第94代天皇

徳川家宣(とくがわいえのぶ)寛文2年〜正徳2年(1662〜1712)
・江戸幕府第6代将軍
・甲府城主徳川綱重(甲府宰相)の長男。第3代将軍徳川家光の孫。
悪評の高かった生類憐れみの令を廃止し、庶民からの人気と期待は高かった。
柳沢吉保を免職し、間部詮房・新井白石を登用。
財政改革を試みたが、在職3年で死去。享年51

平城天皇(へいじょうてんのう)宝亀5年〜弘仁15年(774〜824)
・第51代天皇

松平忠輝(まつだいらただてる)天正20年〜天和3年(1592〜1683)
・徳川家康6男
海外との交易に興味を示し、武術を好むと同時に茶道、絵画、薬学に通じた
文化人でキリスト教の洗礼を受けキリスト教を信仰していたとも言われる。
大坂夏の陣で大坂に出陣の際、兄秀忠の家臣2名を手討ちにしたことが問題
となり、改易処分を受ける。
後に信州諏訪に移され、信州諏訪の発展に尽力したが、赦免されることはな
かった。死後も庶民からの人気は絶大だったと伝えられる。
371年後の昭和62年になってからようやく赦免の許しが出た。

水野勝成(みずのかつなり)永禄7年〜慶安4年(1564〜1651)
・戦国時代の武将、江戸時代初期の大名。備後福山藩初代藩主。
・家康の従弟
猛将として知られ、「鬼日向」とあだ名されている。

桃園天皇(ももぞのてんのう)寛保元年〜宝暦12年(1741〜1762)
・第116代天皇

森蘭丸(もりらんまる)永禄8年〜天正10年(1565〜1582)
・織田信長の小姓。
才気煥発で信長に気に入られた。
天正10年(1582年)甲斐武田氏滅亡後、美濃国岩村城の城主に任じられ、
小姓でありながら城主となった。


婁宿

占い専科☆宿曜占星術

奎宿の歴史上の人物-宿曜占星術

大友宗麟(おおともそうりん)享禄3年〜天正15年(1530〜1587)
・戦国大名
・大友氏21代
当初は禅宗に帰依していたが、後にキリスト教の洗礼を受けた。
洗礼名はドン・フランシスコ(普蘭師司怙)

勝海舟(かつかいしゅう)文政6年〜明治32年(1823〜1899年)
・江戸時代末の幕臣、政治家
山岡鉄舟・高橋泥舟と共に「幕末の三舟」と呼ばれる。
1860年には、咸臨丸で太平洋を横断しアメリカへ渡った。
面倒見がよく、車(当時の人力車)にのったときもより多くの賃料を払い、
海舟が乗る地域の人力車では相場があがったほどだった。

清河八郎(きよかわはちろう)天保元年〜文久3年(1830〜1863)
・幕末の志士。浪士組の幹部
出羽国庄内藩領清川村(現・山形県東田川郡庄内町)の郷士の斉藤豪寿の子
勉学において、かなり優秀だった。
さらに北辰一刀流の免許を得ており、文武両道の士だった。
安政2年(1855)には母親を連れて、善光寺、名古屋、伊勢、奈良、京都、
近江、大阪、宮島、岩国、天橋立、鎌倉、江戸、日光などをめぐる大旅行を
する。その記録「西遊草」は幕末の旅行事情を知るうえでは貴重な資料である。

三条天皇(さんじょうてんのう)天延4年〜寛仁元年(976〜1017)
・第67代天皇

島津忠恒(しまづただつね)天正4年〜寛永15年(1576〜1638)
・初代薩摩藩主。島津義弘の三男
後に家久(いえひさ)と改名するが、同名の叔父が存在するため、区別する
ために初名である「忠恒」と表記される事が多い。

島津忠長(しまづただなが)天文20年〜慶長15年(1551〜1610)
・戦国時代の武将。島津義久と島津義弘の従兄弟
島津義久・義弘に仕えた。
関ヶ原の戦い後、島津氏の代表として徳川家康に対して義弘の西軍参加に
対する弁明の使者を務め、島津氏の国老に任じられて宮之城領主に任命さ
れた。この忠長の系統が、後に宮之城島津氏となる。

仲恭天皇(ちゅうきょうてんのう)建保6年〜天福2年(1218〜1234)
・第85代天皇
在位期間がわずか3ヶ月足らずのため、諡号がつけられず九条廃帝、半帝、
後廃帝と呼ばれていた。
明治3年に天皇として認められ、仲恭天皇と追号された。

徳川家治(とくがわいえはる)元文2年〜天明6年(1737〜1786)
・江戸幕府第10代将軍
・第9代将軍家重の長男。8代将軍吉宗の孫
学芸の才能に恵まれ書画を得意としていた。
田沼意次を側用人に重用し、老中の松平武元らと共に政治に励んでいたが、
意次が老中になると、政治を意次にまかせ好きな将棋などの趣味に没頭する
ことが多かった。

徳川家光(とくがわいえみつ)慶長9年〜慶安4年(1604〜1651)
・江戸幕府第三代将軍
・二代将軍秀忠の子。母は浅井長政の娘で織田信長の姪にもあたる於江与。
老中・若年寄・奉行・大目付の制を定め、幕府機構を確立。
諸士法度の制定、大名に参勤交代を義務づけるなど武家統制の強化を図った。
貿易統制ならびにキリシタン弾圧の強化など、鎖国体制を完成させる。

保科正貞(ほしなまささだ)天正16年〜寛文元年(1588〜1661)
・上総飯野藩初代藩主
兄・正光に実子が無かったため、徳川家康の命令で養子となった。
大坂夏の陣では、槍や鉄砲傷を4箇所も負いながらも武功を挙げる。
しかし、正光に徳川秀忠の落胤とも言える保科正之が養子となったため廃嫡。
保科氏を去り、諸国を放浪。叔父である伊勢桑名藩主・松平定勝のところに
身を寄せ、1629年に幕臣となり3000石を与えられた。
その後、大坂城や二条城の在番を務め、大坂定番となって加増される。
1万7000石の大名として諸侯に列し、飯野藩を立藩した。

毛利秀元(もうりひでもと)天正7年〜慶安3年(1579〜1650年)
・安土桃山時代の武将、江戸時代の大名
・長府藩初代藩主。毛利元就の孫。


奎宿

占い専科☆宿曜占星術

壁宿の歴史上の人物-宿曜占星術

足利義政(あしかがよしまさ)永享8年〜延徳2年(1436〜1490)
・室町幕府8代将軍
・6代将軍足利義教の子。乳母は今参局。正室に日野富子。
幕府の財政難と土一揆に苦しみ政治を疎み、幕政を富子や有力守護大名に
委ねて、自らはもっぱら数奇の道を探求した文化人だった。
29歳で隠居を思い立つが嫡子に恵まれなかった為、実弟の義視を養子として
次期将軍に決定した。
翌年、富子に実子が誕生し、足利将軍家の家督継承問題が起る。

後一条天皇(ごいちじょうてんのう)寛弘5年〜長元9年(1008〜1036)
・第68代天皇

後白河天皇(ごしらかわてんのう)大治2年〜建久3年(1127〜1192)
・第77代天皇
遊び人の評判が高く「文にあらず、武にもあらず、能もなく、芸もなし」と
父に酷評されていた。
自分の政権維持のために、平家や木曾義仲ら武士勢力を利用しては、その存
在が邪魔になると討伐という形で使い捨てを続けた事から、源頼朝からは「日
本国第一の大天狗」と評された。

佐竹義宣(さたけよしのぶ)元亀元年〜寛永10年(1570〜1633)
・佐竹氏19代当主。久保田藩(秋田藩)の初代藩主
・佐竹義重の長男
1590年頃の佐竹氏は滅亡の危機にあったが、豊臣秀吉の小田原征伐に参陣
して所領を安堵された。
小田原征伐後、秀吉の力を背景に敵対していた江戸重通を追い、さらに南方
三十三館の国人衆を謀殺して、常陸54万石を領有することに成功した。
関ヶ原の戦いでは家臣の反対を押し切って西軍についたが、態度がハッキリ
せず、東軍が岐阜城を落とすと、家康のもとに戦勝祝いの使者を派遣して中
立を決め込む。
その曖昧な態度を家康から咎められ、常陸54万石から出羽久保田18万石へ減封された。

白河天皇(しらかわてんのう)天喜元年〜大治4年(1053〜1129)
・第72代天皇

清和天皇(せいわてんのう)嘉祥3年〜元慶4年(850〜880)
・第56代天皇

竹中重治(たけなかしげはる)天文13年〜天正7年(1544〜1579)
・戦国武将
・通称は半兵衛

立花宗茂(たちばなむねしげ)永禄12年〜寛永19年(1567〜1642)
・戦国、安土桃山時代の武将
・高橋紹運の嫡男。立花道雪の養嗣子
智勇に優れた名将であり、宗茂が行くところ敵なしと言われるほどだった。
蔚山での戦いでは加藤清正が窮地に陥っていることを知ると、宗茂はわずか
500の兵で加藤清正を救出した。
このことから加藤清正に「日本軍第一の勇将」と絶賛された。

伏見天皇(ふしみてんのう)文永2年〜文保元年(1265〜1317)
・第92代天皇
書道の伏見院流の祖


壁宿

占い専科☆宿曜占星術

室宿の歴史上の人物-宿曜占星術

足利義詮(あしかがよしあきら)元徳2年〜正平22年/貞治6年(1330〜1367)
・室町幕府2代将軍
・足利尊氏の第三子で嫡男

小笠原貞慶(おがさわらさだよし)天文15年〜文禄4年(1546〜1595)
・小笠原長時の三男
父が武田信玄に大敗し領国を追われ、上杉謙信のもとへ落ち延び謙信に
仕えた。
父から家督を相続した頃は織田信長に仕えており、武田氏が滅亡すると
信長から信濃の一部に所領を与えられた。
信長の死後は徳川家康の家臣となり、松本城を与えられ、大名として復帰。

神屋宗湛(かみやそうたん)天文20年〜寛永12年(1551〜1635)
・戦国時代から江戸時代前期にかけての博多の豪商
・神谷氏の第6代当主。第5代当主
1582年、上洛して織田信長に謁見し、信長の保護を得ることで島津氏を
抑え、豪商としての地位をさらに極めようとした。
4年後、再度上洛して今度は畿内の諸大名や堺の大商人らと親交を深めた。
その後豊臣秀吉に謁見し、豪商としての特権を与えられた。
秀吉の死後、徳川家康からは冷遇され、宗湛は天下の大商人から黒田氏の
御用商人にまで成り下がってしまう。
著作として、『宗湛日記』がある。
宗湛の活躍をまとめた茶会記であるが、秀吉政権の内部を知る上では貴重な
史書の一つともされている。

黒田長政(くろだながまさ)永禄11年〜元和9年(1568〜1623)
・戦国から安土桃山時代の武将、大名
・筑前国福岡藩初代藩主。黒田孝高の嫡男

孝徳天皇(こうとくてんのう)推古天皇4年〜白雉5年(596〜654)
・第36代天皇
初めて元号を立てて、大化元年(645年)とし、650年には白雉に改元した。
大化元年から翌年にかけて、各分野で制度改革を行なった。
この改革を大化の改新と呼ぶ。

後嵯峨天皇(ごさがてんのう)承久2年〜文永9年(1220〜1272)
・第88代天皇

後花園天皇(ごはなぞのてんのう)応永26年〜文明2年(1419〜1470)
・第102代天皇

坂本乙女(さかもとおとめ)天保3年〜明治12年
・坂本竜馬の姉
剣術、馬術、弓術、水泳などの武芸を嗜み、特に薙刀がうまかったといわ
れる。また、琴・三味線・舞踊・謡曲・経書・和歌などの文芸にも長けた、
文武両道の人物だった。
身長約174cm、体重は100kgを超えていたといわれる。

桜町天皇(さくらまちてんのう)享保5年〜 寛延3(1720〜1750))
・第115代天皇
聖徳太子の再来といわれていた。
また、歌道にも優れていたといわれる。

順徳天皇(じゅんとくてんのう)建久8年〜仁治3年(1197〜1242)
・第84代天皇
歌の才能に長けていたと言われており、歌集『順徳院歌集』を出している。
また、有職故実に通じていて解説書『禁秘抄』を著している。

神武天皇(じんむてんのう)庚午年〜神武天皇76年(紀元前711〜紀元前585)
・初代天皇

崇光天皇(すこうてんのう)建武元年〜応永5年(1334〜1398)
・北朝第3代天皇

二条天皇(にじょうてんのう)康保2年〜永万元年(1143〜1165)
・第78代天皇

蜂須賀家政(はちすかいえまさ)永禄元年〜寛永15年(1558〜1639)
・阿波の大名。蜂須賀正勝(小六)の子。
幼少期から父とともに豊臣秀吉に仕えて各地を転戦。
武功派として度々先陣を務め、天正14年(1586年)には阿波一国18万石を
与えられ、徳島城を築城した。
阿波踊は城が竣工した折、家政が城の完成祝いとして、「好きに踊れ」
という触れを出したことが発祥という説がある。

細川藤孝(ほそかわふじたか)天文3年〜慶長15年(1534〜1610)
・戦国武将
室町将軍家、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕え重用された。
三条西実枝から古今伝授を受け近世歌学を大成させた歌人でもある。


源頼家(みなもとのよりいえ)寿永元年〜元久元年(1182〜1204)
・鎌倉幕府二代将軍
・源頼朝の長男、母は北条政子。


室宿

占い専科☆宿曜占星術

危宿の歴史上の人物-宿曜占星術

足利尊氏(あしかがたかうじ)嘉元3年〜正平13年/延文3年(1305〜1358)
・室町幕府初代将軍

池田輝政(いけだてるまさ)永禄7年〜慶長18年(1565〜1613)
・戦国・安土桃山時代の武将
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康に仕えた。

後鳥羽天皇(ごとばてんのう)治承4年〜延応元年(1180〜1239)
・第82代天皇

東福門院和子(とうふくもんいんまさこ)慶長12年〜延宝6年(1607〜1678)
・徳川秀忠の娘、後水尾天皇の中宮。
・明正天皇の生母。

徳川頼房(とくがわよりふさ)慶長8年〜寛文元年(1603〜1661)
・常陸国水戸藩初代藩主、御三家の水戸徳川家の祖。
・徳川家康の11男

源実朝(みなもとのさねとも)建久3年〜建保7年(1192〜1219)
・鎌倉幕府第三代将軍
・源頼朝の子
兄の源頼家が追放されると十二歳で征夷大将軍に就く。
始め政治は執権の北条氏などが主に執ったが、成長するにつれ関与を深めた。
歌人としても知られ、小倉百人一首にも選ばれている。

山口重政(やまぐちしげまさ)永禄7年〜寛永12年(1564〜1635)
・戦国・安土桃山時代の武将
・常陸国牛久藩の初代藩主
織田信雄・徳川家康に仕えた。

結城晴朝(ゆうきはるとも)天文3年〜慶長19年(1534〜1614))
・下総国の戦国大名。結城氏17代。下総結城城主。
嗣子の無い晴朝は、徳川家康の次男・秀康に養女の鶴子を嫁がせて養嗣子とした。

本願寺実如(ほんがんじじつにょ)長禄2年〜大永5年(1458〜1525)
・本願寺八世蓮如の第八子。本願寺九世。浄土真宗の僧。


危宿

占い専科☆宿曜占星術

虚宿の歴史上の人物-宿曜占星術

足利義昭(あしかがよしあき)天文6年〜慶長2年(1537〜1597)
・室町幕府第15代将軍

大久保利通(おおくぼとしみち)天保元年〜明治11年(1830〜1878)
・幕末から明治初期の政治家
木戸孝允・西郷隆盛と並んで維新の三傑と呼ばれる。

勧修寺晴豊(かじゅうじはれとよ)天文13年〜慶長7年(1544〜1602)
・権利大納言勧修寺晴右の子
武家伝奏職を務め、織田信長・豊臣秀吉とのさかんな交流があり,「晴豊
日記」は当時の世情を知る上で貴重な史料として知られる。

後宇多天皇(ごうたてんのう)文永4年〜元亨4年(1267〜1324)
・第91代天皇

近衛天皇(このえてんのう)保延5年〜久寿2年(1139〜1155)
・第76代天皇

酒井忠勝(さかいただかつ)天正15年〜寛文2年(1587〜1662)
・徳川幕府の老中・大老
同時代に、宮内大輔を称し出羽庄内藩主をつとめた酒井忠勝は同姓同名の別人。

仙石秀久(せんごくひでひさ)天文20年〜慶長19年(1551年〜1614)
・戦国時代、安土桃山時代の武将
戸次川の戦いで無謀な作戦を立て、真っ先に敵前逃亡した。
後年の史料で『三国一の臆病者』と言われるほどに罵られている。

沢庵宗彭(たくあんそうほう)天正元年〜正保2年(1573〜1646)
・臨済宗の僧
紫衣事件で出羽国に流罪となり、その後赦されて江戸に万松山東海寺を開いた。
書画・詩文に通じ、茶道にも親しみ、多くの墨跡を残している。
一般的に沢庵漬けの考案者と言われているが、これは間違い。

武田信玄(たけだしんげん)大永元年〜元亀4年(1521〜1573)
・甲斐国の戦国大名

北条政子(ほうじょうまさこ)保元2年〜嘉禄元年(1157〜1225)
・鎌倉幕府を開いた源頼朝の正室
夫の死後は出家し、"尼御台"(あまみだい)と称された。
子の頼家・実朝の死後は、幼い将軍藤原頼経の後見となって幕政に関与、
"尼将軍"と称された。

松平信綱(まつだいらのぶつな)慶長元年〜寛文2年(1596〜1662)
・江戸時代の大名
徳川家光・家綱の二代にわたって老中をつとめた。
幼少の頃より才知に富んでおり、官職から「知恵伊豆」と称された。
島原の乱鎮圧や明暦の大火後の江戸復興などで活躍し、家光・家綱時代を
支えた名老中であった。


虚宿

占い専科☆宿曜占星術

女宿の歴史上の人物-宿曜占星術

朝倉孝景(英林)(あさくらたかかげ) 正長元年〜文明13年(1428〜1481)
・室町時代中期の武将。朝倉氏7代目当主

有馬則頼(ありまのりより)天文2年〜慶長7年(1533〜1602)
・戦国時代、安土桃山時代の武将
・有馬重則の嫡男、有馬豊氏の父に当たる。
播磨国赤松氏の庶流で秀吉の家臣として仕え、毛利氏攻めに従軍した。
九州征伐、朝鮮出兵などに参加、功を挙げたことにより、三田城を与えられた。
晩年は秀吉の御伽衆を務めている。
秀吉死後は徳川家康に接近し、1600年の関ヶ原の戦いでは東軍に与した。

池田利隆(いけだとしたか)天正12年〜元和2年(1584〜1616)
・播磨姫路藩主。池田輝政の子

小笠原秀政(おがさわらとしたか)永禄12年〜慶長20年(1569〜1615)
・安土桃山時代から江戸時代の大名。小笠原貞慶の嫡男

亀井政矩(かめいまさのり)天正18年〜元和5年(1590〜1619)
・江戸時代前期の大名。亀井茲矩の子
・鹿野藩の第2代藩主

空海(くうかい)宝亀5年〜承和2年(774年〜835)
・日本真言宗の開祖。
書道家としても能筆で知られ、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられる。

黒田孝高(くろだよしたか)天文15年〜慶長9年(1546〜1604)
・戦国時代・安土桃山時代の武将
・通称:官兵衛(かんべえ)
始め播磨国の小寺氏に仕え、後、秀吉の軍師となる。

後醍醐天皇(ごだいごてんのう)正応元年〜延元4年/暦応2年(1288〜1339)
・第96代天皇

近藤勇(こんどういさみ)天保5年〜慶応4年(1834〜1868)
・新選組局長。晩年は幕臣。
勇は通称で、実名は昌宜(まさよし)

嵯峨天皇(さがてんのう)延暦5年〜承和9年(786〜842)
・第52代天皇
818年、死刑を廃止を発布た。死刑廃止は以後鎌倉幕府の成立まで347年間続く。
漢詩、書をよくし、三筆の一人に数えられる。

津軽信牧(つがるのぶひら)天正14年〜寛永8年(1586〜1631)
・津軽藩二代藩主。津軽為信の三男。

徳川家斉(とくがわいえなり)安永2年〜天保12年(1773〜1841)
・徳川幕府第11代将軍。第8代将軍徳川吉宗の曾孫。
・御三卿の一橋家2代当主徳川治済の長子

松浦隆信(まつらたかのぶ)天正19年〜寛永14年(1592〜1637)
・平戸の松浦氏第28代当主。第3代肥前国平戸藩主。

松平清康(まつだいらきよやす)永正8年〜天文4年(1511〜1535)
・戦国時代の武将
・三河松平氏6代当主松平信忠の子で、松平広忠の父、徳川家康の祖父。
三河を統一し、余勢をかって尾張に進軍。
1535年、尾張に侵入し織田氏の守山城を攻めた。この守山の陣の最中、
清康は大手門付近で突如、家臣の阿部弥七郎正豊に斬られて殺された。


女宿

占い専科☆宿曜占星術

斗宿の歴史上の人物-宿曜占星術

吉川広家(きっかわひろいえ)永禄4年〜寛永2年(1561〜1625)
・吉川元春の3男で岩国藩主

孝明天皇(こうめいてんのう)天保2年〜慶応2年(1831〜1867)
・第121代天皇

近衛信伊(このえのぶただ)永禄8年〜慶長19年(1565〜1614)
・近衛前久の子。公卿
歌道、茶道に通じ、書にも優れ、寛永の三筆の一人に数えられている。

土御門天皇(つちみかどてんのう)建久6年〜寛喜3年(1196〜1231)
・第83代天皇

徳川家康(とくがわいえやす)天文11年〜元和2年(1543〜1616)
・江戸幕府初代将軍

徳川義直(とくがわよしなお)慶長5年〜慶安3年(1601〜1650)
・尾張藩初代藩主・尾張徳川家始祖、徳川家康の9男

鍋島勝茂(なべしまかつしげ)天正8年〜明暦3年(1580〜1657)
・佐賀藩の初代藩主。鍋島直茂の嫡男。

鍋島忠茂(なべしまただしげ)天正12年〜寛永元年(1584〜1624)
・肥前鹿島藩藩主。鍋島直茂の子

二条昭実(にじょうあきざね)弘治2年〜元和5年(1556〜1619)
・左大臣関白・二条晴良の子

吉村虎太郎(よしむらとらたろう)天保8年〜文久3年
・土佐藩庄屋・土佐勤皇党


斗宿

占い専科☆宿曜占星術

×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。